2009年12月31日

大晦日

今年も最後の一日になりました。
福岡に帰ってきて、直ぐに母が倒れて、入院手続きやらで漸く落ち着きました。
今日も仕事していますがそろそろ家に帰ろうかなと思います。
色々今年はありました。
2年連続喪中にならなかっただけでもよしとするか。
でも来年は確実に喪中になります。
知人からは笑顔で送ってあげたらって言われるけど、これが難しいですね。
ないてもしょうがないけど涙は出てきます。
今日も子供達をつれてお見舞いに行きました。
暗い話は置いて、皆さんの今年はどうだったでしょうか?
私は非常に苦しみました。
出張での移動も疲れたのですが、お客さんの財布の厳しさを実感しました。
何とか生き残ったという感じで来年も色々あるので、がんばって生き残らないといけません。
みなさんの良いことが起こることを祈って、明るい年をお迎えください。
私は年明けから母のところに行くことにします。
  


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2009年12月20日

空港が厳しくなりました。

空港が厳しくなりました。
バックの大きさが制限されています。
ちょっとどうかなって思いますが・・・。
今まで個数も制限なかったから問題でギリギリの人はいいのでは?
そう思いながら、大阪伊丹空港で、「すみません。少しだけ大きいので貼らせてください」
「えっ?」「カウンターでもしかしたら駄目といわれるかもしれません」
ムチャ恥ずかしい。
スムーズに検査場を動かすためのものが結果混雑を招いている気がします。
見ただけでこれは多いやろって多いのにその人を事前に注意すればいいのに。
あと1週間になりました。仕事納めで休みもありません。
がんばりましょう!  


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2009年12月16日

飲み会続き

先週は何かと忙しくブログをかけませんでした。
その一つが母の入院。福岡のある病院ですが、母に飲ませた薬で母は危篤状態に。
それでも電話がなく、翌日妹が見舞いに行ってわかった事実。
たまたま火曜日に時間があり福岡で母の見舞いに行きました。
すると、退院させろって言う感じの目でみていました。
私は主治医の先生から呼ばれ、「長男さんですか?」
「はい」
「がんです」「わかってます」
「しかも末期です」「わかってます」
「そうですか、何時どうなるかわかりません」「だから?」
「年内持つか?」「そうですか、出来れば退院させて家にいさせたいのですが」
「難しいですね。食事も薬も食べないので」「そうですか」
「歩くことも出来ないし」「そうですか」
すると看護婦さんが、「元気に歩いていますよ」
「あらそうなの?」「とにかく少し元気になれば退院させてください」
「わかりました」
何だこの病院。主治医がちゃんと見ていない。このままだと母は殺される。
妹に話をして、できるだけ早く退院させるようにすることを考えた。
交渉に交渉を得て、土曜日に退院することになりました。
しかし、このときも退院はあなたが勝手に決めてと罵声がきたり、
病院から言われたのにひどい病院だ。
土曜日の夜母に電話したら、「よかったよ。あのままだったら弱っていた」
「そう今は?」「全然元気になったよ」
寝ていた母は今では元気に会話でき良かった。
少しほっとしました。
病院は選択難しいですね。救急病院の搬送先だったので断れなかった。
病院の中の患者も少なく、閑散としている病院でした。何処とは言えませんが。
昨日は大阪の忘年会でした。
毎年取引先さんを呼んで各地で飲み会をします。
昨日は20名くらいで盛り上がりました。
楽しく盛り上がった私達は、本日ちょっと疲れ気味です。
明日は東京で明後日名古屋です。
  


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2009年12月07日

煮付けチャレンジ

煮付けチャレンジ
日曜の夜は、豚肉が残っていたので、豚シャブ+豆腐。
それと前回のチキンカレーの残り。
それと大根が余っているので、煮付けをしました。
豪華な夕食でした。
昼はナポリタン。
なんか疲れたので10時半には寝ました。
  


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2009年12月06日

七福神めぐり

今日は、日曜日。
しってますか?
東京七福神めぐりを。
私は港区七福神めぐりをしました。
まず、赤坂にある神社から歩いて2時間コースでした。
力をもらった気がします。
それぞれの神社は小さいけど、こんな都会にちゃんと残っているんだと思って、
うれしくて、しかも結構次から次に人が来ています。
家に戻り、ナポリタンを作り美味しく食べられました。
食べて少し休憩をしていると、弟から電話で、「兄ちゃん、お母さんが苦しくて救急車で運ばれたよ」
「そうか、よく1年持ったね。一昨日苦しいと言ってたよ」(1年前に余命3ヵ月と言われて普通に過ごしている)
「そうなん。」「なんかあったら電話して」
「わかった。妹は泣きじゃくってたよ」
今日七福神廻ったから大丈夫。大丈夫。そう思うしかない。
話し変わるけど、さまよえる刃をみましたか?
私は上海から帰るときに見ました。
簡単に言うと、娘が若い人に拉致され犯され殺される。その犯人を父親が殺しに行く。
私だったらと考えたら、でも同じことをするだろう。
少年法についても今後見直しをしないといけない気がします。
私は遠くにいて娘を助けることが出来ません。
今日昼には「おっぱいと東京タワー」ドキュメンタリー
娘の乳がんに母が付き添いをする。
癌摘出までをドキュメントする。
母は偉大である。
  


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2009年12月05日

南京へ

今週は、南京に行ってきました。
火曜日に成田空港に向かい、広島からのお客さんを浦東空港で待つために、
少し早めの飛行機で上海にPM1時45分に着きました。
なんと15分で私は出口に向かい、パッケージ旅行の迎えを断りに行くと、
李さん「早いですね。まだ着いたばかりですよ」「お客さん来るので急いで出ました」
そして、お客さんを出口で待っていました。到着したはずの広島便から出口に出てくる人がいません。
遅い。遅い。と待っていたら、45分後に出てきました。
私が早すぎたのでしょうね。
リニアモーターカーに乗り、431Kmを体験し、地下鉄で静安寺に向かい、ホテルは、
上海賓館です。まぁまぁなホテルでした。
3泊4日でホテル込みでなんと5万ちょっとです。
静安寺のショッピングセンターに行き、食堂街で夕食を食べました。
今回は南京にオフシュアの話をしに行くのが目的で、新幹線で向かいました。
すると南京市会議会の副議長が昼食会を開いてくれました。
なんか緊張の食事会を終え、仕事も終わって、私達は南京資料館に行きました。
まず入ると、戦争の映像が流れていて、それを過ぎると、殺された人が、
一人ひとり金が鳴り、ちょっと悲しい感じです。
奥に入っていくと、写真や新聞などが展示されていました。
ショックだったのが、妊婦をレイプして殺し腸を出している写真。
目隠しの首を切っていて、横に目隠しされて座っている人の写真。
100人切り対決と新聞ではやし立てていて、105人対106人。延長戦へ。
ここでは、日本語は喋れません。私だったら本当に日本人が嫌になります。
だから、日本人がいたら睨むでしょう。
中国人に聞いてみました。このことをどう思いますか?
「私は過去ですから、これからの未来を日本人と付き合います」
ありがたい言葉ですね。この内容が全て本当かはわかりません。
しかし、中国では、このことをやはり記憶から消してはいけないことを伝えています。
戦争のない平和な世界になることを祈るだけです。
外に出て歩いていると、連れが日本語で喋っていると、少し離れたところから中国人が睨んでいました。
すごく考えさせられました。広島のお客さんが、写真の内容は原爆ドームのほうがすごいですよって。
1日は歩いて観光をしました。静安寺から外難まで歩いて、観光道路に行き、森ビルタワーへ。
そして豫園に行き、ものすごく辛い四川料理を食べて、ホテルに戻りました。
さぁ12月です。残りをがんばっていきましょう。
  


Posted by 絞り at 16:14Comments(0)